墨田川両国橋の魅力

      2016/12/06

両国橋

土手加藤材木店の加藤です。

 

今日はたまたま所用で隅田川にかかる両国橋を通りました。

今日はこの両国橋の過去と今について書いてみます。

 

両国橋は隅田川にかかる橋の一つで、アサヒビールの本社のすぐそばにかかる吾妻橋からみて南側に位置します。

吾妻橋の次が駒形橋、厩橋、蔵前橋でその次が今回ご紹介する両国橋です。

 

両国橋

墨田区側からの領国橋
橋の向こう側は浅草橋です

 

葛飾北斎の浮世絵にも描かれる両国橋周辺は、

江戸時代は大変な活気があり江戸文化の中心的な場所ともいえたようです。

当時は周辺に寺子屋や演芸場などが川岸に立ち並び当時の江戸の人々の娯楽の場所だったようです。

その活気にあふれる風情が葛飾北斎の絵にも良く描かれています。

 

今は鉄筋コンクリートの橋ですが、

当時は木製の橋だったので墨田川が氾濫するたびに改修が必要だったようです。

 

両国橋で昔から有名なのが今では見ることができない「百本杭」があります。

墨田川は昭和初期に完成した荒川放水路ができるまで、荒川や綾瀬川が合流していたので

その沿岸は浸食されたようです。

ちょうど両国橋付近がその川の勢いが増す地点だったらしく、

そのために川岸に木製の杭を打ち込むことで川の勢いを緩める効果があったようです。

 

その光景は大変風情があったようで、

当時の江戸時代の人たちにとっては大変親しみのある光景だったようです。

また江戸時代の歌舞伎ではその「両国橋百本杭の場」が演目の中に登場されたようです。

 

川の流れの勢いを緩めるために打ち込まれた杭が、何時しか江戸庶民の風情あるものになっていたということに、

何かわかるような気がします。

 

明治時代には様々な文豪が、この両国橋のことを取り上げています。

 

明治時代後半には隅田川の護岸工事が進み、ほとんどの杭が引き抜かれてしまい、

墨田川と百本杭がおりだす風情はいまでは見ることはできなくなりました。

 

両国橋には昔から人々をひきつける魅力があったんでようね。

 

 

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